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2007年 08月 11日 ( 1 )


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終戦3日前に生まれて
明日、8月12日は「御巣鷹山日航機墜落の日」ですが私の誕生日でもあります。

二日早く届いたすぐ下の妹からの誕生カードに思わずポロリ・・・
最近、頓に涙もろくなったものです。(ノд-。)

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62年前、広島、長崎と原爆が投下され、敗戦の色濃くなりつつある頃、
母は5年間待ち望んだ初めての赤ちゃんを産むため、危険な大阪を逃れ、
高知で産婦人科医院をしている母の叔父の所に疎開していました。

間の悪いことに、叔父の娘さんもお産のため実家に戻ってきていました。

母の父親も医者でしたが、当時日本の領土であった朝鮮にいましたから
簡単に実家に帰ってお産することは出来なかったのです。

叔父さんの家にしてみれば、さぞかし母は厄介者だったことでしょう。
食糧事情が最悪になっていましたから、母は常にひもじい思いで過ごしていたようです。
その頃の母の気持ちを想像すると涙がこぼれます・・・

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ところが、その叔父さんの病院が空襲に遭い、
母は大きなお腹を抱えて看護婦さんと必死で奥大田という山へ逃げました。

そこの農家の蚤だらけの離れで私は生まれたのです。
栄養失調の小さな小さな赤ちゃんだったそうです。

その3日後、日本は終戦を迎えました。

母を迎えに大阪から駆けつけた父と母の兄は、のぼりを立てて母を捜したそうです。

生まれて日の浅い未熟児の赤ん坊の髪の毛には蚤がいっぱい!
大阪に帰る途中、容赦なくDDTを振り掛けられたそうです。

ぐったりとして、泣く元気もない赤ん坊を見て、誰もが死んでいると思ったとか・・・
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実は、先週ずっと四国旅行をしていた妹夫婦が、高知に行く機会があったので、
私の出生の地、奥大田に行ってみようと、レンタカーを走らせたそうです。

ところが、その名の通り奥大田は大変な山奥で道幅も狭く険しいところ!
近寄ることも出来ず、やむなく引き返してきたそうです。

私は思います・・・
母はどんな気持ちで、そんな暗い山奥まで臨月の身で登って行けたのか・・・
看護婦さんと二人で、どんなにか不安だったに違いないと・・・

妹はカードの中で、こう書いてくれています。

オンタ(私の呼び名)は、生まれなければならないと、神様が決められたのでしょう。

オンタのためにも、

父母のためにも、

夫のためにも、

妹たちのためにも、

親戚のためにも・・・・

いつか、お母さんも一緒に高知へ行こうね!


死んでいても不思議じゃない赤ん坊を生かしてくださった!
その子は小学校6年生で市の健康優良児に選ばれました。 V(^-^)
そして・・・今や3人の孫にも恵まれて・・・

今日まで守られ62回目の誕生日を元気で迎えられることを神様に感謝します。
そして、みんなに、ありがとう!って感謝します!
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ららちゃんも見守ってくれているよね~
ありがとう! (・_・、)

最後に、お母さん、私や優しい妹たちを生んでくれて本当にありがとう!

※ 85歳の母が描いた鳥です。上;コサメビタキ 下:ルリビタキ
by bella8 | 2007-08-11 00:28 | ちょっといい話


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